秋七月 文月 初秋

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新型コロナウイルスによる感染拡大によりほとんどの祭やイベントが中止になり、緊急事態宣言解除後も密を避けるために、また準備不足などで秋までは中止の続く日々が続きそうです。

本ブログも一時中止していましたが、過去の祭やイベントを掲載することで気分だけでも東京の江戸情緒や楽しさを味わっていただけたらと思います。

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一年で最も暑い時期に立秋が来る。

 

最も寒い2月に立春が来るのと同じで、旧暦の暦の感覚に最近は慣れてきた。
もっとも暑い時期ということはこれから涼しくなり秋がやってくるという前触れなのだ。

そうは思ってもしかし暑い。
夏日の気温は25度から。
真夏日は30度、35度になると猛暑日と呼び、それすら越えると酷暑と呼び名が変わる。
例年37度、38度、39度を毎年記録するに至り、2018年は何と東京・青梅市で40.8度である。
もはや人の住める状態の限界である。
こうなるともう風情もへったくれもない。

 

私が子供のころの昭和三十年代の夏休みも暑かったが、体感温度でいうと30度程度だと思う。

半ズボンにランニングシャツ、麦わら帽子をかぶって裸足に下駄履きの写真が残っている。
ともかくそんな恰好でも外で遊べた暑さであったが、熱波が襲うコンクリートジャングルとなった今の都会の子供にはお勧めしない。

 

もうひとつ暑く感じられるのが8月は日本人にとって鎮魂の月であるからだ。
もともとお盆があり先祖を迎え、送り帰すという行事を欠かさなかった民族であるが、そこに戦後から6日の広島原爆忌、9日の長崎原爆忌、15日の終戦の日が加わったからである。

日本の軍人軍属民間人の死者数が二百六十万人とも三百十万人ともいわれる。
さらにいえば12日は日航機が御巣鷹山に墜落し五百二十名の死者を出した日本の航空機事故史上最悪の事故が起きた日である。

関東ではなじみが薄いが、6日の広島原爆忌からお盆まで西日本各地で鎮魂の灯篭船が河川を埋め尽くす。
七十年経ってもやり場のない悔しさと怒りが日本人らしい無言歌となって川面を覆う。

 

世界中どこでも、暴力と圧政にこらえきれずに血の涙を流すのはいつで名もなき庶民である。

8月15日正午、甲子園球場で行われる全国高等学校野球選手権大会では毎年この時刻に試合を中断して黙祷が捧げられる。
吹き出る汗は暑さのせいだけではない。

 

そして2016年の夏を数倍熱くしたのは四年に一度のオリンピックイヤーだからだ。

8月6日リオオリンピックが開幕した。
世界最高峰の技と肉体の祭典で日本人選手の活躍が深夜、夜明け前の決勝種目にライブでテレビ放映され暑い夏に寝付かれないわが身をさらに寝不足にする。

十七日間のめくるめく祭典が繰り広げられ、日本は過去最多の四十一個のメダルを獲得。
金メダル十二個。
奇跡ともいえる逆転勝利が連日報じられた。

体操男子個人総合、体操男子団体、バトミントン女子ダブルス決勝、女子レスリングなどの金メダルがそうだった。
日本人も勝負強くなったものだ。
感動の金メダル、負けてもらう悔しい銀メダル、歓喜の銅メダル。
金メダルと銅メダルにドラマが潜む。

 

熱戦が繰り広げられる中、日本全国でも野球に限らずすべての学校スポーツの大会が開かれる。
なかでも高校総体・インターハイが特に注目されていたのは四年後に迫った二度目の東京オリピックの金の卵探しでもあるからだ。

オリンピックの閉幕と同時に夏の高校野球も閉幕。
イチローが大リーグ通算三千本安打を記録した。

 

日本は戦争を回避して七十一年が経過した。

戦勝国であるはずのアメリカはその間ずっと戦争をし続けているのは皮肉である。
日本人は若者が戦争で亡くなることがなくなり、スポーツや芸術文化で世界を目指している。

いつまでもそうであってほしい。
戦後生まれの先輩からの願いである。