漱石忌 漱石山房記念館・雑司ヶ谷霊園 12月9日(2019年)
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新型コロナウイルスによる感染拡大によりほとんどの祭やイベントが中止になり、緊急事態宣言解除後も密を避けるために、また準備不足などで秋までは中止の続く日々が続きそうです。
本ブログも一時中止していましたが、過去の祭やイベントを掲載することで気分だけでも東京の江戸情緒や楽しさを味わっていただけたらと思います。
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夏目漱石の命日である。
本名夏目金之助。
小説家としては「吾輩は猫である」「三四郎」「坊ちゃん」「それから」「こころ」「門」「虞美人草」「行人」「明暗」などを発表し人気作家となる一方、正岡子規や高浜虚子らと親交があり、俳人としても知られる。
漱石ほど文豪の名がふさわしい作家はいない。
なぜだろう。
作家は死後そのほとんどが忘れ去られる。
その中でどうして漱石は近代文学最高の知名度を誇る文豪の称号を得られたのか。
その理由としては実質デビュー作である「吾輩は猫である」と「坊ちゃん」における万人受けするユーモアあふれる作風。
「それから」「こころ」「門」三部作が学校選定図書になるなどの文学性の高さ。
それに加えて、東京帝大英文科卒、英国留学、教師という肩書がいかにも作家という芸術家にふさわしい知性を表していること。
そしてなにより大事なのは漱石といえばあの、きちんとした身なりで頭に手を当てた肖像写真の印象である。
私はこの写真こそ文豪・夏目漱石が誕生した秘密であると思っている。
たとえば芥川龍之介や太宰治の写真では文豪の名にふさわしくないのだ。
その文豪にふさわしい、自信にあふれ堂々とした肖像は1984年から発行の千円札に採用されている。
もっとも決定的に文豪=漱石となったのはワープロの商品名とそのCMによってだが。
とにかくイメージは大切である。
特に写真は決定的である。
ブーツを履いた竜馬しかりである。
我々もあまり変な写真は残さない方がいい。
実際の漱石の人生は堂々たる文豪のイメージからはやや遠い。
英国留学中の極度の神経衰弱、その後も胃潰瘍、糖尿病などに悩まされ、神経質な日々のなか喀血などを繰り返し1916年12月9日没。
享年四十九歳であった。
雑司ヶ谷霊園に墓がある。
例年より遅れ気味の紅葉のおかげで木々が見事に彩を添えた雑司ヶ谷霊園に行ってみた。
ここには漱石以外にも「怪談」の小泉八雲、大正ロマンの画家・竹久夢二、永井荷風らの墓がある。
中でもひときわ大きく、目を引くのが夏目漱石の墓である。
訪れたのが法要の後のため、献花され、線香の香りが満ちている。
私も手を合わせる。
続いて向かったのが漱石が生まれ夏目家が名主でもあったゆかりの新宿区に造られた夏目漱石記念館である漱石山房である。
書斎が再現され、建物のなかには愛すべき猫をかたどった姿があちこちに見ることができる。
敷地内の公園には猫塚もあり、漱石と猫との深い関係が感じられる。
漱石山房では月命日の毎月9日にはゲストを招いてのイベントが催されている。
漱石忌は特別に「漱石忌講演会」が行われ、2019年は十一回目になる。