河童忌 田端文士記念館 7月24日(2017年)

---------------------------------------------------------

新型コロナウイルスによる感染拡大によりほとんどの祭やイベントが中止になり、緊急事態宣言解除後も密を避けるために、また準備不足などで秋までは中止の続く日々が続きそうです。

本ブログも一時中止していましたが、過去の祭やイベントを掲載することで気分だけでも東京の江戸情緒や楽しさを味わっていただけたらと思います。

---------------------------------------------------------

 

芥川龍之介の命日である。

 

作品に「河童」があることと、生前よく河童の絵を描いたことから河童忌と呼ばれる。俳号から我鬼忌とも。

 

昭和二年7月24日、薬物自殺。
享年三十六歳。

遺書には「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」と書かれてありその曖昧模糊とした理由が多くの文学青年の琴線を揺さぶった。
その自殺理由について、私などはカミュの「異邦人」で主人公の殺人の動機が「太陽が黄色かったから」と並んでかなりショックを受けた。

死というものの軽さ、すべてを決するのは自分の意志であるという傲慢さとともに、そこに神々しさすら感じ、己の弱さを思い知らされたのである。

 

羅生門」「鼻」「芋粥」「蜘蛛の糸」「藪の中」「地獄変」「杜子春」等、簡潔で研ぎ澄まされた短編作品群は、氏のやや狂気をはらんだ神経質そうな風貌とともに、天才作家のイメージを確立したといっていい。
同時に芥川以降の作家で大長編作家、歴史作家、シリーズ物を多く手掛ける作家たちは芸術性の薄い大衆作家であるという認識を多くの読者に植え付けたのは間違いない。

 

芥川の死後、菊池寛により設けられた芥川賞は新人作家のあこがれになり、近代文学史のなかで芥川龍之介の名は文豪・夏目漱石とともに不動となった。

生前住んでいた田端には多くの文士が集まっていた。
平成二十九年の没後90周年の河童忌には田端文士村記念館で「河童忌特別展」が開催。

田端文士村記念館の写真

田端文士村記念館

田端文士村記念館の写真

田端文士村記念館の写真


生前好んで描いた河童の絵の変遷がわかる展示など関連資料が公開された。
田端には芥川龍之介旧宅跡がありやや離れた巣鴨・慈岩眼寺に龍之介の墓がある。

 

 河童忌やあまたの食器石に干す 蛇笏

両国小学校の芥川龍之介文学碑の写真

両国小学校・芥川龍之介文学碑

両国小学校の芥川龍之介文学碑の写真

両国小学校の芥川龍之介文学碑の写真