七草粥 1月7日

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新型コロナウイルスによる感染拡大によりほとんどの祭やイベントが中止になり、緊急事態宣言解除後も密を避けるために、また準備不足などで秋までは中止の続く日々が続きそうです。

本ブログも一時中止していましたが、過去の祭やイベントを掲載することで気分だけでも東京の江戸情緒や楽しさを味わっていただけたらと思います。

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六十七侯は芹が食べごろに育つ頃を示している。

 

田のあぜ道などに密集して育ち、まるで競り合うようにあることから名がついたという説がある。
野草独特の臭みがあり、日本など東洋の一部では二千年前から食されているが、西洋ではあまり食べられていないようだ。
本来の芹の旬は3、4月頃だが正月七日の七草粥に使われるため、この時期にまだ若い芹がスーパーマーケットに顔を出す。
また秋田名物のきりたんぽ鍋にも欠かせない植物である。

 

正月最後の七日目に美食三昧の胃を休ませるために七草の粥を食べる。

セリ、ナズナゴギョウハコベラホトケノザスズナ(カブ)、スズシロ(大根)

七草

七草


どれも素朴で優しい食材で目にも優しく、癒されるようだ。
実際、おせちや御馳走の毎日のあとの七草粥は何とも言えずうまい。

七草がゆ

七草がゆ

 

我が家ではスーパーマーケットの七草粥セットを購入して作るが、大変便利。

七草セット

七草セット

実は我々が和の行事やそれに付随する食事を季節ごとに味わえるのは、スーパーマーケットの努力の結果だとは、よく思うところである。

私の普段の情報源は新聞とテレビ、それにインターネットの三点がほとんどであるが、そこに今日は七草粥だから食べましょうなどという記事はほとんど見かけない。
熱心に我々を行事にいざなっているのは新聞に挟まれたスーパーマ-ケットのチラシである。

七草粥はもちろん、雛祭りにはちらし寿司に菱餅、甘酒、蛤のお吸い物まで取りそろえ、端午の節句の菖蒲湯、柏餅、七夕には笹飾り、お盆にはお供えセット、名月には月見団子に夏土用の丑の日には鰻といった具合。
ほかにも初鰹に桜鯛、半夏生のタコ、節分の豆に鬼のお面に恵方巻の情報と、至れり尽くせりである。
もちろんそれが商売だからとはいうものの、大変熱心かつ繊細である。

日々の暮らしの中であっという間に通り過ぎてしまいかねない細かな行事や食材のアピールは大変ありがたい。

 

スーパーマーケットの次に和の行事に熱心なのはデパートのチラシである。
こちらはスーパーより大雑把というか、細かい商売はあまりしない。
一年で最も熱心なのはおせち料理の予約販売である。
安くても一万円。
高い物だと三万、五万、十万円である。
有名料亭がプロデュースした高級おせちほど早く売りきれるようだ。
ひな祭りや端午の節句には食材よりひな人形や兜、鯉のぼりである。

 

いずれも新聞チラシが私の重要な情報源となっているのだが、巷の新聞購読者は激減している。

ニュースは早くてわかりやすいテレビやネットで十分というわけで、世の中の流れで新聞もネット配信に移行しつつあるのはいたしかたないとしても、懸念するのはチラシがなくなることと、新聞に載っている広告が読めなくなることだ。
後者で利用しているのは雑誌や書籍の情報から新製品やコンサートの告知、旅行などの情報である。
これもなくなると困る。

新聞挟みこみで送られてくる東京都だよりや区報もとても便利にしている。
毎週の歌壇俳壇も楽しみにしている。
私にとって新聞は、単なるニュース媒体ではないのである。

 

ちなみに、一月七日は「人日(じんじつ)」といい、五節句のうち一年最初の節句である。

と、もっともらしく書いてはいるがこの人日という言葉も、五節句だということも数年前まで知らなかった。
五節句という言葉は聞き知っていたので、調べもせずに勝手に、一月一日の正月、三月三日の桃の節句、五月五日の端午の節句、七月七日の七夕、九月九日の重陽節句の五つだと信じ込んでいたのである。

この五つだと、すべて陰陽五行の陽となり、すべて月数と日数が同じ数字になる。
実にまとまりもいい。
まさかいきなり一月七日という変化球が入るとは思わないではないか。
と、言い訳のひとつやふたつしたくなるのである。

 

もうひとつ、知らないのも無理もないと思うのは、特にこれといったイベントがないせいだ。

1月7日といって思うのは七草粥くらいだが、実は人日に七草粥を食べるのが風習なのだそうである。
そもそも人日とは何なのか、人の日である。
「お疲れ様でした。この日はお休みください」というような意味合いがあるようだ。
それが七草粥だけが残った。
そのせいで意味合いも「正月の美食に飽きたでしょうし、お腹ももたれているから、今日はさっぱりした青菜のお粥を」という具合に多少変化している。

 

それにしても天下の五節句である。
つまり正月や節分、八十八夜や七五三などより格が上の特別な日なのだ。
それにしては地味すぎる。
例祭も何もない。
でもそうか。
と思いあたった。
神に対して豊作を祈念したり、子供の成長を祝ったり、感謝したりする行事が多い節句の中で、「何もしなくていい。お休みください」ということなら、これこそまさに人の日に違いない。

そういえば我々、特に男は仕事が休みということもあり年末年始を休みと捉えているが、戦前までの女性や主婦はそうではない。
いつもと変わらず家事に精を出している。
というよりいつもより料理の数は多いし来客もある。
休むどころの騒ぎではないはずだ。

人日のこの日は正月も終わり完全に休みとはいかなくても、「ちょっと手を抜いて楽に過ごしてください」くらいの意味は十分ありそうだ。
女性のための正月、女正月なのだろう。
そう思えばなかなか粋な計らいというか、一味変わった節句である。 

七草がゆ

七草がゆ