新嘗祭・勤労感謝の日 11月23日

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新型コロナウイルスによる感染拡大によりほとんどの祭やイベントが中止になり、緊急事態宣言解除後も密を避けるために、また準備不足などで秋までは中止の続く日々が続きそうです。

本ブログも一時中止していましたが、過去の祭やイベントを掲載することで気分だけでも東京の江戸情緒や楽しさを味わっていただけたらと思います。

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11月23日は勤労感謝の日、祝日である。

もともとは新嘗(にいなめ)祭だったそうで、戦後勤労感謝の日になった。
一般家庭で新嘗祭神嘗祭はなじみのない行事である。
皇室では重要な祭事であり毎年収穫を祝い神酒、神饌(しんせん)を伊勢神宮に奉る祭儀が行われているようだが、どのようなことが行われているのか詳しくは我々庶民には伝わってこない。
神嘗祭同様庶民とは別世界の行事ということなのだろうか。
と、書いたところで2013年に天皇陛下八十歳の誕生日を機にこの皇室の新嘗祭宮内庁によって映像が公開されたそうだが、どうも記憶にない。
しかしどうも10月17日の神嘗祭と11月23日の新嘗祭の区別がよくわからない。

神嘗祭天照大御神に対する感謝で、新嘗祭はすべての神に感謝する日ということなのか。
天皇からの勅使をすべての神社に使わせることはできない。
だから天皇の勅使は伊勢神宮のみ、ということでいいのか。

ともかく一年の五穀の収穫を祝うというのは世界中でも重要な行事のはずで、宮中に限らず全国の農村漁村、山村でも地元の神に同様の行事が個別に行われているはずである。
感謝の仕方はさまざまであるが、何らかの形ですべての人間が行ってしかるべきものに違いない。
と同時に、現代社会において新嘗祭という祭事は我々庶民、というか農家が丹精込め、そして苦労して作った作物や工業製品、労働に対し、お上が感謝するという日であるべきである。
そう考えれば新嘗祭が、のちに勤労感謝の日となり、国民の祭日になったのも結構ではないか。

しかし近年では収穫の意味合いが変わってきている。
いまや農作物だけでなく、車や家電といった輸出工業製品を含んだモノづくりが「収穫」とされているといっていい。
彼らにも当然感謝するべきである。
ところがそのモノづくり大国ニッポンの貿易黒字が極めて少なくなってきている。
世界中に自動車や家電の工場を作り現地の労働者を使っている構造自体、日本人の産業とは呼べない。
実は日本はもはやモノづくりが主力ではなくなっているという。
こうしたモノづくりのやり方や、外国の企業を買収してその利益を得るといった方法は、投資であり為替差益を目的とした金融商売である。

農業から工業へ、そして商業・金融へ。
まるで経済史の教科書通りにしかも最先端で推移していく日本の労働形態である。
段階が変わり働き方がメタモルフォーゼするたびに収入は増えて行き、人々の暮らしは楽になる。
それはそれで結構なことだが、だからといって現在の金融商売に対して、「一年間お疲れ様でした。おかげさまでよい収穫が得られました」と、素直に感謝しづらいのはなぜだろう。

あれこれ考えながら、床の間に稲穂と新米、栗、胡桃などを三方に入れて飾って眺めていると、やっぱりこれが収穫の名にふさわしく、一番しっくりくると納得するのだ。
これで床に飾るのが預金通帳ではあまりに世知辛い。
現金ではなおさらだ。

さて今夜はひとり新嘗祭
農家の努力に感謝しつつ奮発して大吟醸酒もいただくとしよう。
なぜかいつもより辛口に感じるかもしれないが。

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我が家の新嘗祭