日展 国立新美術館 11月10日(2017年)

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新型コロナウイルスによる感染拡大によりほとんどの祭やイベントが中止になり、緊急事態宣言解除後も密を避けるために、また準備不足などで秋までは中止の続く日々が続きそうです。

本ブログも一時中止していましたが、過去の祭やイベントを掲載することで気分だけでも東京の江戸情緒や楽しさを味わっていただけたらと思います。

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11月3日の文化の日から12月10日までの一ヶ月間あまり、国立新美術館で開かれる国内最大の美術公募展である。


明治四十年から始まった文展、大正時代からの帝展、そして戦後からの日展と名称は変わりその日展も改組されて今年で四回目だが通算では百十年になるという。

公募対象は日本画、洋画、彫刻、工芸美術(陶芸・漆器)、書の五部門。
広大な展示室5つに各受賞作が所狭しと並んだ様はまさに壮観である。

もともと日展のひな形はフランスのサロンと呼ばれる政府の公募展で作家にとっては唯一の登竜門であった。
このサロンはセザンヌやモネ、ルノアールたちでさえ落選するほど狭き門であったようだ。

近年の日展の応募総数は一万千点ほどで、入選は二千四百点ほどだが、応募の多くを占めるのは書で八千点ほど。
うち入選は千人ほどで入選率は12%ほどである。
書以外の4分野は応募約二千百点に対して入選は約千四百点、入選率は66%である。これを狭き門と思うか広いと思うかは評価の分かれるところである。

私が日展を見に行ったのは11月10日である。
この日は会期中一日だけ無料で入場できる日なのだ。
東京の美術館の大規模展覧会はどこも長蛇の列で若冲展など四時間待ちであった。
さぞかし大勢の観客が詰め寄せているのでは、と思ったが気が抜けるほど入場者が少ない。
そしてとにかく会場が広い。
すべてを丹念に見て回るには一日では無理だろう。

やや駆け足気味だったが一応全部見て回る。
それで思ったのは工芸品の壷や花瓶、鉢などの日用品のカテゴリー以外の作品の作家でどれだけの方々がプロなのだろうという疑問である。
ここでいうプロとはそれぞれの分野で作品の収入だけで暮らしていている人のことである。
先生は含まない。
なぜそうした疑問が起こるかというと、作品の99.9%がきれいすぎるからである。
また部門ごとに十ほどのパターンがあり、そこに収まりすぎていること。

絵などは題材、モデルともにあまりにも無難すぎることに起因している。
つまり、きれいな作品、技術が上手な作品であり、文部科学省推薦的な無難なテーマなのである。

あくまで推測であるが、日展に入選なさってる方の多くは絵や書、工芸の先生だと思う。
その職業意識からか、弟子や仲間から「うまいね。きれいだね」という賛辞をもらうための作品に見えるのだ。
「さすが先生」と言われたいのかも。
もしくは趣味で作られている方だろう。

私は現代作家の作品が好きでモダンアートの展覧会にもよく行くが、日展の作品はとても現代作家の最新作には見えず、まるで十七世紀に逆戻りしているような感じさえあった。
プロの世界は生き馬の目を抜くというか、先人の作家と同じ作風では生きていけない。
すべてのプロの芸術家は他の作家と一目瞭然でそれとわかる個性を発揮している方々である。
そのために抜群のテクニックを要しているにもかかわらず、それを封印して作品を作っている方さえいるほどである。

きれいに見える作品は既視感を伴い、インパクトに欠けることがあるため、あえて汚いと思われていたもの、美の範疇にそれまでなかったものを描くことはプロの世界では当たり前のことである。
今回の日展の作品群で数人の方を除いて、作家として、芸術家としてのアプローチは残念ながら感じなかった。
小奇麗に着飾った作品は作っている方は気持ちいいかもしれない。
しかし観客の心は動かさない。
あるいは観客は誉めてくれるかもしれないがドキドキはしていない。
というべきか。

二千四百人もの方々の栄えある受賞作品が展示されているにもかかわらず、あまりにも観客が少ないのはその証明である。

日展新国立美術館

日展新国立美術館