春彼岸・彼岸会

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新型コロナウイルスによる感染拡大によりほとんどの祭やイベントが中止になり、緊急事態宣言解除後も密を避けるために、また準備不足などで秋までは中止の続く日々が続きそうです。

本ブログも一時中止していましたが、過去の祭やイベントを掲載することで気分だけでも東京の江戸情緒や楽しさを味わっていただけたらと思います。

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春分の日を中心に一週間がお彼岸、初日が彼岸の入り、春分の日が彼岸の中日、最後の日が彼岸明けとなる。

仏教行事ではあるが、日本にしかない行事である。

 

私のように墓が近所にない者にとっては墓参りの日である。
先祖に感謝し、家では仏壇を掃除しお供えをする。

お墓参りに行き草をむしり、お墓を洗いお供えをして線香をあげ、お参りする。
我が家の墓は霊園にあるので、あまり形式ばっていない。
お坊さんも呼ばない簡潔なお参りだが、それでもこのご時世家族がそろってお参りというのはなかなか難しい。

先祖と言っても身近に触れ合った親兄弟くらいしか親近感もない。
それすら忘れがちな日常である。
申し訳ない、いくつになっても親不孝者、という思いがどうしても強く感じる日でもある。

 

そんなときディズニーアニメの「リメンバー・ミー」を観た。

メキシコの死者の日が舞台の物語で、音楽好きな少年が死者の国へ迷い込み、そこで高祖父に出会い、自分が誰からも思い出されず忘れさられそうだと聞く。
この死者の国では誰からも思い出されないと、そこからも消えてしまうのだという。

現世で唯一生前の思い出を持っているのは彼の娘(少年の曾祖母)であるが、その娘も死期が迫っている。
一度でいいから死者の日に家に戻り娘に会いたいと願う高祖父。
少年は大冒険の末に家に戻り、死ぬ間際の曽祖母に父親を思い出させようと、高祖父が幼い娘によく歌ってあげていた歌「リメンバー・ミー」を歌い始める。

 

観終えて正直泣いた。

遠いメキシコでも日本のお盆のような行事があり先祖を大切にしている。
現世を生きているものから忘れられるということは死者の国からも消えてしまうことだというストーリーは、どんな宗教的な教義を説かれるよりも説得力がある。
忘れられることは存在しないことなのだ。
第二の死とも言える。

人間の死は悲しく、第二の死はせつない。
そしてこうした難しいテーマを不気味な骸骨が溢れるエンターテインメントに仕上げたディズニーの底力に感心したのである。
お彼岸やお盆にぜひ家族で見てほしい作品である。

 

人は忘却する。
しかたのないことではあるが、忘れてしまう側には常に後悔が付きまとう。

彼岸会とはそうした自分と向き合う日なのだろう。
お彼岸が大事にされていることは春の春分の日、秋の秋分の日ともに祝祭日になっていることからもわかる。
休みだからどこか遊びに行ってしまいがちだが、墓参りのための休日であることを忘れてはいけない。
自戒を込めて。

 

墓参りから戻って、ぼた餅を食べる。
牡丹の季節に食べるからぼたん餅、略してぼた餅。
秋の彼岸に食べるのは萩の咲く季節だからおはぎ。
秋の小豆は新しいのでつぶあんで、春の小豆は硬くなっているのでこしあんにして作るそうだ。
真偽は定かではないが、なぜか説得力のある説である。

などと考えつつ母親が作ってくれたぼたん餅を思い出す。

子供のころきょうだいで手伝い、お重に三段も作ったがぺろりと食べてしまった。
母の死後あんなにおいしいぼたん餅には当然お目にかかっていない。

 

ぼた餅,抹茶, の写真