山の日 愛宕山 8月11日

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新型コロナウイルスによる感染拡大によりほとんどの祭やイベントが中止になり、緊急事態宣言解除後も密を避けるために、また準備不足などで秋までは中止の続く日々が続きそうです。

本ブログも一時中止していましたが、過去の祭やイベントを掲載することで気分だけでも東京の江戸情緒や楽しさを味わっていただけたらと思います。

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2016年から8月11日が山の日になり祝日になった。

 

当初案は8月12日でお盆休みとつなげることで大型連休を作る狙いがあったが、12日は日航機事故が御巣鷹山で起きた日であるため見送られた経緯がある。

休みを多くというのはわかるがそれにしても7月第三月曜の海の日と対をなす不思議な日である。

 

名前を付ければ意味が生じる。
山に登れというのか? 

私は腰痛持ちで泳ぎは得意でなく潮風が苦手なため海にも山にも行かない平地大好き人間である。
そんな私であるが思い立ってやってきたのが愛宕神社である。

 

御成門から歩いて数分のところに小高い山がある。
愛宕山である。
その山のてっぺんにある愛宕神社に向かって急勾配の階段が一直線に伸びている。
これが愛宕神社名物の男坂だ。
別名出世坂の名がある。

見上げると、馬どころか歩いてさえきつそうだ。
出世はあきらめていると脇に緩やかな道がある。
女坂である。
それも面倒そうなので逡巡していると、道路を隔ててエレベーターが見えるではないか。
迷わず並んで昇る。
そんな私は男でも女でもないただの年寄りである。

 

昇ってみればなかなかの景色である。

この山は海抜26mだそうだが、東京山手線内で自然の山としては最も高い山なのだそうだ。
いわゆる旧東京15区の最高峰である。

さすが関東平野、まさに平(たいら)である。

 

低山にまつわる物語で印象的なのは映画にもなった「ウェールズの山」である。

ウェールズにある海に面した小さな村にあるフュノン・ガルウは外敵から村を守ってきた村の誇りであったが、測量隊がやってきて測ったところ標高(海抜に同じ)299mだった。
結果は山ではなく丘という判定。
山と認められるには305m必要だった。

村の誇りである山を丘と認定され、ショックを受けた村人は総出で土を盛り一夜で6m足してしまったのだった。

 

英国では海抜305m以上が山だという定義が生んだ実話のコメディーだったが、ブリタニカ百科事典の定義では2000フィート(約610m)以上らしい。
こちらを採用すると、フュノン・ガルウも愛宕山も山でなくなってしまうが、日本では低山に関しては寛容というか、そんなに堅いことは言わないようだ。

実際東京23区の最高峰は新宿区の戸山公園にある海抜44mの人工の箱根山である。

戸山公園箱根山の写真

戸山公園箱根山の写真

戸山公園箱根山の写真

戸山公園箱根山の写真


こちらは登頂に成功すると、新宿区から認定書まで頂けるというしゃれの利いた山である。
私は二度登頂したことがある。

今回、愛宕山に登ったため、私は東京山手線内最高峰二山とも登頂したという輝かしい経歴を持つことになったわけである。

ちなみに日本最低峰(?)は仙台市日和山で海抜3mだとか。

ちょうちょの日 8月8日

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さて8月8日はちょうちょの日だそうだ。

 

8の字が横から見るとちょうちょに似ているからだそうだ。
この日にちなんで昆虫学会が日本の蝶、国蝶を選定した際、アゲハチョウと最後まで熾烈な闘いを演じた挙げ句国蝶の名を勝ち取ったのがオオムラサキである。
大型で紫色が鮮やかな国蝶の名にふさわしい立派な蝶である。
日本が最初に発見したということでSasakiaの属名が佐々木忠太郎氏に献名されたという。
また、国蝶を選定している時期の1956年に七十五円の切手の図案に採用されたことが決め手になったようだ。

今聞くと安易なように聞こえるかもしれないが当時はすごい切手ブームで図案になるということは知名度が圧倒的に高まることだ。
歌手なら紅白歌合戦出場、マンガなら「少年ジャンプ」に連載スタート、くらいにインパクトのあることだったと申し上げておこう。
切手ブームも去り、郵政省も民営化されて、その権威も下がり気味の現在ではあるが、かつての少年たちは切手で世界の国を知り、動植物、伝統行事や絵画や、明治の偉人たちを学んだもので、今でも気の利いた方は手紙の内容に合わせた記念切手を選んで貼ってくださる方がいて、いただくとなんとも気持ちがいい。

 オオムラサキに話を戻せば、かつて全国で見られたオオムラサキも減り続け、現在では絶滅が危惧されているとか。
朱鷺の二の舞を無まず、しっかりと保護していただきたいと思う。

 余談になるが日本には国獣としてキジが選ばれているほかは特に指定されていない。
そこで国魚に錦鯉を選んではどうかという提案があったようだ。
日本が誇る美しい生きた宝石であり、近年はヨーロッパなど海外で人気が高い。
なるほど、と思っていたら、新聞に投稿があった。
「国魚? サンマだろ?」
うーん、庶民としてはそっちかも。

お米の日 8月8日

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8月8日はお米の日だそうだ。

 

米という字は分解すると八と十と八でできているところや、米を作るには八十八もの手間をかけているというところからこの日が選ばれたそうだ。
この日以外にも8のつく日をお米の日としてイベントが行われる。

 

お米は日本人に欠かせない主食であるが、近年はひとり当たりの年間消費金額でついにパンに抜かれたそうだ。
パンは三万円に対し、米は二万四千円ほどである。

実は私がどのくらい米を消費しているか調べたところほぼ月に五kg。
年間六十kgである。
これは米一俵に相当し、五キロがだいたい二千円とすると、見事に日本人の平均値に当てはまるのである。

パスタやそば、うどん、それにパンも日常的に食べているから、たしかに米を食べる量は減っているのだろう。

 

私は農業の経験は皆無であるので少し調べてみると、一反の田んぼ(十アール)で採れる米は玄米で四百二十kg、精米すると三百八十kgになるそうだ。
これは米俵で約六俵、年間六人分の米がまかなえる数字である。

江戸時代、一反で採れる米の量を一石(いっこく)とし、上級武士の給料を払う単位にされていた。
下級武士は俵で数えられて給料をもらっていた。

ここでクイズ。
年俸五十石の上級武士と年俸百五十俵四人扶持(ふち)の下級武士がいたとする。
さて、どちらが多く給料をもらっているか?

 

現在の一反六俵の計算なら、上級武士の年俸は三百俵である。
下級武士は扶持米と言う扶養家族ひとり当たり年間一石(男一日五合、女一日三合の計算)の食い扶持が追加される。
つまりプラス四石で二十四俵になるから百七十五俵。

圧倒的に上級武士がもらっているようだが、さにあらず。

一反六俵が穫れるようになったのは戦後のこと。
江戸時代の中期には一反で採れる米の量は、二・五俵、後期になってようやく三俵である。
つまり現在の半分しか収穫できなかったわけだ。

そこで計算し直すと、上級武士は百五十俵、下級武士が百六十四表で下級武士のほうが多くもらっていることになる。
はい、引っ掛け問題である。

俸祿は全額手元に残るわけではなく、四公六民や五公五民の税金を収めなければならない。
早い話が手取りは半分ほど。
平均的な百五十俵の下級武士でも生活はかなり苦しかったようだ。
サラリーマンはいつの世も辛いのである。

 

しかし米の収穫は随分と改善されたことがおわかりだと思う。

江戸時代、米はイコールお金であったから、稲の改良増産は切実であったに違いない。

ちなみに江戸の初期、一両は三・四石だったがやがて、小判の価値は下がり続け、江戸末期には一両が一石にまで下がった。
これは金の価値が下がったというわけではなく、幕府が財政に困り、発行する小判の金の量を減らしたことが大きい。

ざっと考えても小判の大きさ重さが三分の一以下になったということだろう。
江戸初期の小判と末期の小判を見比べればその大きさの違いに唖然とするはずである。いかにもその場しのぎの対策である。

明治に入っても政府のやり方は変わらず、一両が一円と名前が変わったが、通貨の価値はどんどん下がり続けた。
現在のアルミの一円玉を見れば、その暴落ぶりが実感できるというものである。
通貨の地位は不安定だが、米と金の価値はゆらぎないものであった証でもある。

 

日本人ひとり当たりの米の消費量が年間一俵の現在からすると、江戸時代の扶持米が一石(約三俵)である昔の日本人は我々の三倍米を食べていた。

坂口安吾の「堕落論」に江戸時代末期の日本人は一日一升飯を食べていたという記述がある。
一日一升つまり十合、月に三十升! ひと月に約一俵、現在の我々の十二倍平らげる計算である。
扶持米などというのは単なる渡す側の都合であって、実際はそれでは全く足りなかったということだろう。
そんなことに思いを馳せる「お米の日」である。

脚折(すねおり)雨乞 雷電の池(埼玉県鶴ヶ島市) 8月7日(2016年)

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四年に一度オリンピックの年に合わせて行われる雨乞いの奇祭。

 

七十本の孟宗竹を骨組みに、六百七十束の麦藁で肉付けし、長さ36メートル重さ三トンという竜神「龍蛇(りゅうだ)」が白髭神社で口から御神水を注がれて魂が入魂されると300人の担ぎ手により出発して太鼓と法螺貝が鳴り響く中、町を練り歩き、2km離れた雷電池(かんだちがいけ)に入り池の中で勇壮に暴れて雨を呼ぶというもの。

二百五十人の地元住民でわずか一日半しかかけていないとは思えない荒々しくも素朴で迫力のある竜神を作り上げた。
住民たちは雷電池に板倉雷電神社の御神水を注ぎ、祈りを捧げる。
国選択無形民俗文化財で、第十七回ふるさとイベント大賞の最高賞を受賞した。

旧暦七夕 阿佐ヶ谷七夕祭り(2017年)

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八月七日は立秋であり、五節句のひとつ七夕である。

江戸時代後期には、七夕用に笹売りが多かったそうで、どの家の軒先にも短冊を吊るした笹があったというから、そりゃあよく売れたに違いない。

 

七夕伝説では、働き者だった織女と牽牛が見合い結婚するとふたりは仲良すぎていつも離れず仕事をしなくなったので、怒った天帝は天の川をはさんで二度と会えないようにふたりをはなればなれにしてしまった。
会えなくなったふたりは泣いて暮らしたので、それを見た天帝が不憫に思い、年に一度七夕の日に会えるように計らったという。

 

七夕行事が始まった奈良時代には、宮廷の女官たちが織女のように裁縫がうまくなりたいという願いを込めて糸を供えたという。
それが庶民にまで広まったが、高価な糸を供えられないので代わりに紙を使ったという流れがあるようだ。

ではなぜ願いが叶うのか。

もともと笹は神事に用いる植物でまっすぐ伸び、伸びながらこすれあって音を出すことから、神に気付かれやすく願いが叶いやすいということらしい。

 

七夕飾りは陰陽五行説にならって五色の短冊に願い事を書いて笹に吊るして成就を願う。

恋愛や欲しいもの、習い事の上達などが多いが、江戸時代の末期ころになると圧倒的に「習字がうまくなりますように」だったという。
このことから書道が習い事のトップであったことがわかる。
七月のまたの名は文月、どうも習字との関わりが強い月のようでもある。

 

さて、七夕見物に阿佐ヶ谷の七夕祭り行ってきた。

阿佐ヶ谷七夕祭りの阿佐ヶ谷駅の写真

阿佐ヶ谷駅

阿佐ヶ谷七夕祭りの写真

阿佐ヶ谷七夕祭

昭和二十九年から始まって2017年で六十四回目。
ちょうど私の年齢と同じである。
名物は商店街アーケードに飾られるはりぼて飾り。

阿佐ヶ谷七夕祭りの写真

阿佐ヶ谷七夕祭りの写真


地元の幼稚園児や小学生も参加して人気アニメのキャラクターや名場面がはりぼてで作られる。

阿佐ヶ谷七夕祭りの写真

阿佐ヶ谷七夕祭りの写真

阿佐ヶ谷七夕祭りの写真


屋台も百軒ほど出るが、もともと商店街なので休憩場所や飲食場所には事欠かない。
雨天決行4日から8日まで。

 

 笹の葉さらさら軒端にゆれるお星さまきらきらぎんぎん砂子

 

歌を口ずさみながら、平成の世の子供たちの願い事に想いを馳せてみる。

 

阿佐ヶ谷七夕祭りの写真

第十三節気 立秋

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7月は京都祇園祭や大阪天神祭博多祇園山笠の月であると書いた。

そして続く8月は東北の五大祭の一週間が始まる。

 

盛岡さんさ祭(8月1日~4日)、青森ねぶた祭り(8月2日~7日)、秋田竿灯祭り(8月3日~6日)、山形山笠まつり(8月5日~7日)、仙台七夕祭り(8月5~8日)である。
便利なことに旅行会社ではこれらの祭りを順繰りに見て回るツアーなどがある。

ほかにも長岡阿賀野川大花火大会(8月2日)は東京の花火が情けなく見えるほどの大尺の花火が打ち上げられる。

 

立秋になると海水浴シーズンも終わりになる。
お盆前、8月10日くらいが限界か。
クラゲが多くなり、波も荒くなるので子供たちには危険が伴う。

この時期海水浴に行って海に潜ったら一面クラゲだらけで驚いて退散した記憶がある。
クラゲに刺されて泣いて救急車に運ばれた友だちもいたっけ。
というわけで、海水浴はなるべく7月中に。
その後はプールで遊びましょう。

秋七月 文月 初秋

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一年で最も暑い時期に立秋が来る。

 

最も寒い2月に立春が来るのと同じで、旧暦の暦の感覚に最近は慣れてきた。
もっとも暑い時期ということはこれから涼しくなり秋がやってくるという前触れなのだ。

そうは思ってもしかし暑い。
夏日の気温は25度から。
真夏日は30度、35度になると猛暑日と呼び、それすら越えると酷暑と呼び名が変わる。
例年37度、38度、39度を毎年記録するに至り、2018年は何と東京・青梅市で40.8度である。
もはや人の住める状態の限界である。
こうなるともう風情もへったくれもない。

 

私が子供のころの昭和三十年代の夏休みも暑かったが、体感温度でいうと30度程度だと思う。

半ズボンにランニングシャツ、麦わら帽子をかぶって裸足に下駄履きの写真が残っている。
ともかくそんな恰好でも外で遊べた暑さであったが、熱波が襲うコンクリートジャングルとなった今の都会の子供にはお勧めしない。

 

もうひとつ暑く感じられるのが8月は日本人にとって鎮魂の月であるからだ。
もともとお盆があり先祖を迎え、送り帰すという行事を欠かさなかった民族であるが、そこに戦後から6日の広島原爆忌、9日の長崎原爆忌、15日の終戦の日が加わったからである。

日本の軍人軍属民間人の死者数が二百六十万人とも三百十万人ともいわれる。
さらにいえば12日は日航機が御巣鷹山に墜落し五百二十名の死者を出した日本の航空機事故史上最悪の事故が起きた日である。

関東ではなじみが薄いが、6日の広島原爆忌からお盆まで西日本各地で鎮魂の灯篭船が河川を埋め尽くす。
七十年経ってもやり場のない悔しさと怒りが日本人らしい無言歌となって川面を覆う。

 

世界中どこでも、暴力と圧政にこらえきれずに血の涙を流すのはいつで名もなき庶民である。

8月15日正午、甲子園球場で行われる全国高等学校野球選手権大会では毎年この時刻に試合を中断して黙祷が捧げられる。
吹き出る汗は暑さのせいだけではない。

 

そして2016年の夏を数倍熱くしたのは四年に一度のオリンピックイヤーだからだ。

8月6日リオオリンピックが開幕した。
世界最高峰の技と肉体の祭典で日本人選手の活躍が深夜、夜明け前の決勝種目にライブでテレビ放映され暑い夏に寝付かれないわが身をさらに寝不足にする。

十七日間のめくるめく祭典が繰り広げられ、日本は過去最多の四十一個のメダルを獲得。
金メダル十二個。
奇跡ともいえる逆転勝利が連日報じられた。

体操男子個人総合、体操男子団体、バトミントン女子ダブルス決勝、女子レスリングなどの金メダルがそうだった。
日本人も勝負強くなったものだ。
感動の金メダル、負けてもらう悔しい銀メダル、歓喜の銅メダル。
金メダルと銅メダルにドラマが潜む。

 

熱戦が繰り広げられる中、日本全国でも野球に限らずすべての学校スポーツの大会が開かれる。
なかでも高校総体・インターハイが特に注目されていたのは四年後に迫った二度目の東京オリピックの金の卵探しでもあるからだ。

オリンピックの閉幕と同時に夏の高校野球も閉幕。
イチローが大リーグ通算三千本安打を記録した。

 

日本は戦争を回避して七十一年が経過した。

戦勝国であるはずのアメリカはその間ずっと戦争をし続けているのは皮肉である。
日本人は若者が戦争で亡くなることがなくなり、スポーツや芸術文化で世界を目指している。

いつまでもそうであってほしい。
戦後生まれの先輩からの願いである。