花見

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新型コロナウイルスによる感染拡大によりほとんどの祭やイベントが中止になり、緊急事態宣言解除後も密を避けるために、また準備不足などで秋までは中止の続く日々が続きそうです。

本ブログも一時中止していましたが、過去の祭やイベントを掲載することで気分だけでも東京の江戸情緒や楽しさを味わっていただけたらと思います。

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さて、桜も満開になり、いよいよ花見である。

 

浮世絵などを見ると、江戸時代の花見は日の出とともに起き出して豪華な花見弁当を作り、着飾っていそいそと出かけたらしい。

花見弁当の写真

花見弁当

行先は桜の名所飛鳥山である。
現在と違い桜はどこでも見られるものではなかったと思われるので、文字通り桜を見に行ったのである。

 

のんびり歩いて行くから神田あたりからだと二、三時間はかかったろうか。

ついたら紅白の幔幕を四方の桜の木に結び付けて張り、周囲と遮断する。
すると桜の花は見えるが他の花見客は見えず、別世界というか隔離された野天のお座敷が出来上がる。

地面にゴザを敷き詰め、座布団やお膳を出し、酒盛りが始まる。
三味線や尺八の音に合わせて歌も出る。
とまあ、当時のお大尽はこんな感じだったろう。

家族連れでなければ、芸者や花魁、新造や禿(かむろ)、太鼓持ちなども引き連れた大変豪華な遊興であったことは想像に難くない。

 

その桜の名所であった王子の飛鳥山は今も桜の名所ではあるが、初めて花見に行ったときは、想像していたものと比べ「ずいぶんと狭いところだなぁ」と感じたものだ。

飛鳥山も当時に比べて狭くなったのかもしれないが、現在の東京はどこもかしこも桜が植えてあり、花見見物できる場所も環境もずいぶんと進化しているためにそう感じたのだろう。

 

花見の名所は上野に移り、平日に場所取りして鍋などを作っているのは昔ながらの大学生や会社の花見会である。

上野の桜の写真

上野の桜

こちらは会社の行事の一環だから堂々と準備ができる。

しかし、現代人は日にち限定ではなく、毎日を楽しみたい方が多い。
かつてのお大尽のようなたった一日のための大掛かりなものより、平日の仕事帰りでもちょいと楽しめる夜桜見物志向に移ってきているため花見のありようは変わってきている。

 

そんなライフスタイルを反映しているせいか、現在の花見見物人気第一位は千鳥ヶ淵である。
大都会の真ん中にあるため行くのも待ち合わせるのも便利で、ライトアップされた外堀を歩きながらの花見が合っているのだ。

千鳥ヶ淵には外国人観光客も大挙押し寄せていてすごい人気である。
もちろん全員歩き花見である。

そういう意味で近年人気の目黒川の花見も同様の志向の結果だろう。
花を見て歩き、近くの店で飲食するのが平日の楽しみ方である。

千鳥ヶ淵の桜を見たあと靖国神社まで足を延ばして境内の桜を背景に出店の屋台で海の幸の炉端焼きなどを肴に一杯というのもたしかに楽しい。

 

これが休日になり家族連れの花見になると、やはりお重に詰めた弁当にビニールシートを敷いてのプチ宴会、ピクニック方式になる。

そういう意味では飛鳥山は御近所の要望に十分こたえている。
ほかにも砧公園や井の頭公園石神井公園駒沢公園木場公園、戸山公園、祖師谷公園、林試の森公園、亀戸中央公園などは広いしきれいで運動場などもあり、御近所の家族向けのピクニックランチ花見にもってこいである。

甘泉園の桜の写真

甘泉園の桜

 

桜の花が咲いてみて気付くのだがそれにしても東京はどこもかしこも桜だらけである。見物に行かなくても窓の外を眺めても、どこかに桜が見えるのだ。

その桜のほとんどがソメイヨシノ
薄いピンクの花びらだが、この色を含めて桜といえば、ソメイヨシノというくらい桜の代名詞になっている。
これだけたくさんあるということは、さぞかし生命力の強い桜かと思えばさにあらず。
このソメイヨシノ、ほとんど自分で繁殖する能力が乏しいらしい。

ではどうしてこんなに多いのか。
つまり人間が一本一本育て上げてすべて植えているというのだ。
しかも寿命が三十年から五十年と短い。
大量に植えられたソメイヨシノは毎年大量に死期を迎えている。
ソメイヨシノはほっておくとなくなってしまう桜である。
それを人間が力を貸すことによって生きながらえ植え替えられながら、毎年きれいな花を咲かせて楽しませてくれているのだ。

つまりソメイヨシノと人間は共生しているである。

桜の花の写真