明智光秀絶命 6月13日(1582年)
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新型コロナウイルスによる感染拡大によりほとんどの祭やイベントが中止になり、緊急事態宣言解除後も密を避けるために、また準備不足などで秋までは中止の続く日々が続きそうです。
本ブログも一時中止していましたが、過去の祭やイベントを掲載することで気分だけでも東京の江戸情緒や楽しさを味わっていただけたらと思います。
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歴史に「もしも」はないが、そう考えずにいられないのが明智光秀の起こした本能寺の変である。
もしも明智光秀が襲撃せずに信長が生きて天下を取っていたなら…。
もしも信長がもう少し光秀を大事に扱って追い詰め過ぎなければ…。
もしも報を聞いた秀吉が動かなかったら…。
天下は大きく変わっていた。
そのもしもの主役は明智光秀である。
しかし明智は信長を自刃に追い込み、自らは秀吉軍に敗走してひとり逃げ回るうちに農民に殺されたとも、農民に追いかけられて自決したともいわれる。
1582年六月十三日のことである。
三日天下と言われるほど短くはないが、信長の死後わずか十三日後のことである。
強烈なパワハラと無理難題、約束を守らない上司、突然の転勤、常に馘首の恐怖に怯える日々…。
どことなくサラリーマンの悲哀を感じさせる明智光秀の生涯は本人が真相を語らずに死んだため、かえってその悲哀の度を深めている。
本能寺の変は本当に後先考えなかった光秀の単なる「倍返し!」だったのか?