綿

---------------------------------------------------------

新型コロナウイルスによる感染拡大によりほとんどの祭やイベントが中止になり、緊急事態宣言解除後も密を避けるために、また準備不足などで秋までは中止の続く日々が続きそうです。

本ブログも一時中止していましたが、過去の祭やイベントを掲載することで気分だけでも東京の江戸情緒や楽しさを味わっていただけたらと思います。

---------------------------------------------------------

 

綿の花が開く侯である。

 

綿の用途は広い。
綿布は下着から靴下、着物、帯、ズボン、ジーンズ、シャツといったすべての衣類、すべての布製品、さらしや包帯、麺棒、紐、魚網、シーツや布団のカバーと中に入れる「わた」などである。

綿が登場する前は、麻や木の皮の繊維を裂いて糸にして布に織るか蚕の繭から得た絹織物であり、動物の皮をなめして布の代わりにしていた。
麻などに比べて柔らかく水気を吸いとり、かつ温かいという綿布は圧倒的に用途が広がった万能の植物の登場だったのである。

ちなみに「わた」とは枕などの詰めもの全般を指し材料は問わない。
真綿(まわた)という名前から綿のことだと誤解していたが、蚕の繭から採れた「わた」のことでだそうある。
いやお恥ずかしい。

 

日本ではおもに中国や朝鮮からの輸入に頼っていたが、十六世紀には綿花栽培が一般的になった。

ヨーロッパではそれまで羊毛が主体であったため、初めて綿花を見た人々は「インドには羊の生る木がある!」と驚いたという。
その後、綿織物が盛んであったインドを植民地化したイギリスはインドの綿を輸入して紡績工場を作り大量の綿製品を生み出し、世界中に輸出しそれまで主要織物であった羊毛製品を圧倒する。
産業革命の始まりである。

アメリカも南部において綿花の栽培に力を入れ、生産、のちイギリスを抜いて輸出世界一となる。
キング・オブ・コットンの座はもちろん奴隷にされたアフリカ人たちの犠牲によってもたらされたものである。

 

日本でも綿布製品に国を挙げて力を入れたため、1930年代は綿布の輸出が世界一になる。

戦後一時ふたたび世界一になるがその後は安いアジア産の綿布に押され衰退。
追い打ちをかけたのは化学繊維の台頭である。

1920年代のアセテート繊維、1930年代のナイロン繊維、1940年代のアクリル繊維と次々と合成繊維が開発され、決定的に木綿に打撃を与えたのは1950年代に入って開発されたポリエステル繊維の登場である。
このポリエステル繊維によって、日本の主要輸出産業であった綿布と絹は完全に衰退することになる。
現在は個人栽培がわずかにあるにしても自給率はなんと0%である。

 

今となっては床の間に飾る愛すべき花のひとつになっているが、そんな歴史と人間の欲望を綿花は静かに物語る。