川魚(2018年)

---------------------------------------------------------

新型コロナウイルスによる感染拡大によりほとんどの祭やイベントが中止になり、緊急事態宣言解除後も密を避けるために、また準備不足などで秋までは中止の続く日々が続きそうです。

本ブログも一時中止していましたが、過去の祭やイベントを掲載することで気分だけでも東京の江戸情緒や楽しさを味わっていただけたらと思います。

---------------------------------------------------------

 

鮎のことは前項で書いたが、この時期は鮎のほかにも川魚が魚屋で手に入る。
虹鱒、ウグイ、山女(ヤマメ)、岩魚である。

 

だいたい売られている物は鮎サイズがほとんどで、乱暴に言えば私にとってどれも似た味である。
たぶん川魚専門の料理店の方からすると全く味音痴としか思われまい。

言い訳がましく申し上げるなら、味の差がわからないほど現在我々は川魚を食べなくなったのだ。
皆さんの中でこの一年で虹鱒、ウグイ、アマゴ、サクラマス、山女、岩魚を食べただろうか? 

ほかには幻の魚といわれるイトウは? 

では、ぐっと身近な鯉や鮒(フナ)は? 

 

鯉にいたってはかつて料理人にとって最高の魚と言われ、千年続く京都四條流庖丁儀式に使われるのは鯉である。
柳川鍋に使われるドジョウはいかがだろうか? 

私のことでいえば、この十年間で食べたのはここに挙げたなかでは虹鱒と山女、アマゴだけで、鮒はかろうじて小魚を佃煮で食べたかもしれない、という程度である。

現代人は魚を食べなくなったといわれるが、その少ない魚も食べられているのは圧倒的に海魚である。
正直川魚で海魚と同等に人気のあるのはダントツ1位の鰻と2位 鮭 3位 シジミ、4位 鮎、5位 川海老、6位 ドジョウくらい。
それも1位と2位の圧勝で、しかもどちらも海の生まれの魚である。
人気のない理由に、小さい、骨が多い、臭い、面倒などなどなど。

 

冷凍技術と道路の完備、進歩によって遠い海からでも内陸、山の隅々にまで新鮮なまま海魚が運ばれ食卓に並ぶようになった。

かつて猫またぎとまで蔑(さげす)まされたマグロはすっかり人気ナンバー1にまで上り詰めたし、足が早く地元でしか味わえないとされていた赤ムツ・ノドグロももはや全国区である。

私も物心ついたころから海魚を食べて育っているから川魚をわざわざ食べようとは思わないし必要もなかったのである。

逆にいうと、かつての海魚は海の近くに住んでいる人は食べていたが、ほとんどの人間は内陸の川の近くに住んでいたから、干物くらいしか食べなかった。
川は生活圏に必ずあったので獲れたての川魚の方がうまかったのである。

 

日本などより圧倒的に内陸が大きい中国では魚といえば今でも川魚が圧倒的である。

黄河と長江という二大河川のあるせいで日本に比べ魚も海老も蟹も川物と思えないほど大きいので、あまり海魚と遜色ないのかもしれない。
もっというと世界中の人間は川の近くに住み飲み水から生活用水、田畑への給水、また道路以上に役立つ水路として、また川魚を食料としてと、生活すべてを川に依存していたから、魚といえば川魚のことだったのだ。

われわれはそのことを忘れそうになっている。
言い換えれば人類は川の民である。
海辺に住んでいても真水の川がなければ生きていけないのだから。

川魚を食べるときっとそんなことを思い出すはずだ。
そして食べ続けていれば、虹鱒と山女とウグイの味の違いがわかるようになるはずなのだが。

 

緑の葉がまぶしい夏のこの季節、山間の渓流のそばに品の良い川魚料理店を見つけ入ると川床にしつらえた涼しげな席に通される。

川は切り立った崖に挟まれているので川床は日陰になっている。
谷中生姜を添えた山女と岩魚の塩焼きにそうめんが出され、冷えたビールを一本、小ぶりのやはり冷えたグラスに注いで飲む。
足元に流れる川の音が心地いい。

ここは秋川渓谷である。
私は今、川と人間の関わりを川魚によって学び直している。

 

 けざやかに口あく魚篭(びく)の山女かな 蛇笏