針供養 2月8日

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新型コロナウイルスによる感染拡大によりほとんどの祭やイベントが中止になり、緊急事態宣言解除後も密を避けるために、また準備不足などで秋までは中止の続く日々が続きそうです。

本ブログも一時中止していましたが、過去の祭やイベントを掲載することで気分だけでも東京の江戸情緒や楽しさを味わっていただけたらと思います。

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二月八日は針供養の日である。

 

福岡県北九州市淡島神社が有名。

東京では浅草寺内にある淡嶋堂で供養が知られている。

東京をはじめ東日本では2月8日だが、西日本では12月8日に行われることが多いようだ。
地方によっては八日節句(ようかぜっく)、事八日(ことようか)と呼ぶ。
農家の仕事始めの日ともされ、厄除けの柊(ひいらぎ)やニンニクの茎に餅や団子を刺して玄関に飾り仕事を休む節分のような行事から針供養に転じたようだ。
また針がひとつ目一本足であるところから、目の多いザルや籠を吊るしたという。

 

針供養(針祭)のこの日は針仕事を休み、使えなくなった裁縫針を神社に持っていき、豆腐やこんにゃくなどのやわらかい食べ物に刺して供養していただき、かつ裁縫の上達を祈念する。

しかし近年はとんと針仕事をする方の話を聞かない。
男の私はなおさらで、初めて針仕事をしたのは小学校低学年のとき、雑巾を二枚作って持ってくるという宿題だった。
案の定指に何度も針を刺して四苦八苦して作ったのを今でも覚えている。
それ以来ほとんど針は持たないが、その時の経験のおかげか、いまだに靴下の穴の繕いはするので、針箱は持っている。
とはいえ、針を供養しなければならないくらい使い倒すということすらピンとこない。

普通に使っていて針がだめになるのだろうか? それとも昔の針は錆びやすく折れやすかったのか。

和裁洋裁が女性のたしなみだった時代はいずこ。
たしかに昭和四十年代くらいまでは母親が穴の空いた靴下やズボンの繕いはもちろん、簡単な洋服くらい作っていたような記憶がある。

 

作家になる前の向田邦子さんは出版社の編集者だった。
その出版社は編み物と洋裁の型紙の本でヒットを飛ばしていた。
当時はそれくらい自分でいろいろ作っていたということだろう。

洋服の時代でこうなのだから、着物を着ていた時代はなおさらである。
着物は丸洗いするのに糸を外して洗い、また縫い直す。
子供が大きくなって着物の寸法が合わなくなると、裄(ゆき)や丈を出して体に合わせる。
これらはみな女性の仕事だった。
現代は、着物の丸洗いを頼もうとすれば長着一枚一万円もする時代である。
着物を着る者にとって裁縫は必須だったのである。

 

縫い針からミシンになりそのミシンも物置にしまわれているか、捨てられて久しい。
ミシンが売れずに困っているという記事を読んだのももう三十年以上前のことである。

今は安くておしゃれな洋服がすぐ手に入る。
デザインにもうるさいから母親が作った服など着るわけもない。
ズボンや靴下は穴が空いたり痛んだら買い替える。
痛まなくても飽きたら買い換える。
飽きなくても一年着たら買い換える。
こうして日本人は一億総おしゃれになって、服は大量に増えたが家庭から針仕事は消えて行った。

だが嘆くこともないようだ。
おしゃれにどっぷりつかった若者たちはただ着るだけでなく、自分たちで新しい洋服をデザインし、作りたくなる。
コーディネイトにもこだわり、自分で仕入れて売りたくなる。
こうしたファッション関係の志望者が増え、現在ヘアデザイナーとファッション業界は人気職種の1位と2位を占めているのである。

針供養にはこうした若いおしゃれな若者たちが集まっているはずである。
もちろんミシン針を持って。

個人宅の針供養の様子

我が家の針供養

個人宅の針供養の様子

我が家の針供養