秋に啼く虫
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新型コロナウイルスによる感染拡大によりほとんどの祭やイベントが中止になり、緊急事態宣言解除後も密を避けるために、また準備不足などで秋までは中止の続く日々が続きそうです。
本ブログも一時中止していましたが、過去の祭やイベントを掲載することで気分だけでも東京の江戸情緒や楽しさを味わっていただけたらと思います。
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キリギリスの啼き声が聞こえる侯である。
とはいっても都会の真ん中、しかもマンションの七階では聞こえるわけもない。
秋の虫が愛されるのはその啼き声によってである。
啼くのはキリギリスだけではない。
鈴虫、松虫、ヤブキリ、クツワムシ、ツマムシ、クダマキモドキ、ササキリ、青松虫、エンマコオロギ、カンタン、草雲雀、カネタタキ、ケラ、その他ウマオイ等キリギリス類が九種に松虫系数種が知られる。
虫の声とか虫の啼き声というけれど、実際口から声を出しているわけではなく、オスが翅をすり合わせて音を出してメスを呼ぶ求愛活動である。
虫のオスたちは秋になると大演奏を繰り広げ、夏の蛍は発光し、みんなメスの歓心を買うのに必死。
本能に従っているとはいえ虫のオスも大変である。
イソップ物語の「アリとキリギリス」では歌って踊っているキリギリスをアリは「遊びに呆けていると、寒い冬を越せないぞ」と諭す。
その言葉通りキリギリスは冬になると飢えと寒さで死んでしまう。
と描いているが、子孫を残すのにキリギリスだって必死なのである。
イソップが作ったキリギリスが遊び人でアリは働き者というイメージはなかなか消えない。
冬に死んだのも単なる寿命なのだが。
華やかに啼き自由恋愛を謳歌するキリギリスに対し、女王アリにかしずき恋愛が存在しないアリから見た嫉妬とも取れないこともない。
イソップが書いた当時の人間に例えれば、アリは庶民でキリギリスは貴族である。
現在、日本では十八歳から三十五歳の未婚の若者のうち、恋愛をしてないものが男女とも70%近いという。
したくない者も確かに増えているが、大半は恋愛難民化しているといっていい。
恋愛や結婚は一部の者たちに与えられた特権であり贅沢品であり、しいていえば一種の嗜好品になってしまった感さえある。
庶民と貴族から、恋愛格差社会への移行である。
キリギリスも大変だが、今となってはその大変さを味わえるだけ選ばれた階級なのである。
失恋の悲しみを味わえるのは、恋をした者だけの特権なのだから。
虫の声についてあれこれ考えているうちに大変な問題に突き当たってしまった。
はてさて、虫の声が聞こえない代わりに童謡「虫の声」を口ずさんで気分を元に戻してみる。
あれまつむしがないているチンチロチンチロチンチロリン
あれすずむしもなきだして リンリンリンリンリインリン
あきのよながをなきとおす ああおもしろいむしのこえ
キリキリキリキリこおろぎや ガシャガシャガシャガシャくつわむし
あとからうまおいおいついて チョンチョンチョンチョンスイッチョン
あきのよながをなきとおす ああおもしろいむしのこえ
子供のころはともかく現在は虫が苦手なのも事実である。
そのため、机の上にはドングリやイガグリ、稲穂の入った三方の脇に、竹で作られた精巧な鈴虫のオスとメスがかごの中にいる。
九州の竹細工職人が仕事の合間に遊びで作ったもののようだが、これが恐ろしく出来がいいので買い求めた。
私のように実物の虫は苦手な向きには、この季節に飾るのにぴったりである。
素朴でおしゃれな虫かごに入っており、これも職人の手作りだ。
中国では昔から秋の虫を持ち寄って虫の声を聞きながらお茶を飲む風習がある。
日本では虫の声を聞きに出かけて行くが、中国ではかごに入れて持ち歩く。
考えてみれば、ずっと合理的だし、確実に虫の声が聞けそうだ。
小学生の昆虫採集ではないので虫かごもかなり立派な工芸品の物を使うので気分も盛り上がる。
私も見習って、といっても竹の虫だが、そばに置いて、見て、声を想像しつつ、薄茶を点てていただくとしよう。
飼ひ置きし鈴虫死で庵淋し 子規
わが胸の骨息づくやきりぎりす 波郷
無残やな甲(かぶと)の下のきりぎりす 芭蕉
ちなみに芭蕉の句のきりぎりすはコオロギの古名である。